おはようございます!
集団すずめ

毎日こうして、すずめを見ていると、つくづく日本人的だな〜と
感じます。
というより日本人がすずめ的なのかもしれませんが(笑)
エサを食べに降りてくる時も、不安を感じて逃げる時も、自己判断以上に周りのすずめ達の行動に影響されて自分も一緒。
すずめから連想される言葉は『集団行動』。
日本人の特徴の一つも集団行動を得意とする部分がありますよね。
最近は、『集団行動』に対して嫌悪感を感じる風潮が強くなっています。
確かに意味も無い事で集団で行動するのはどうかと思いますが、
例えばつまらない社員旅行や上役だけが楽しんでいる会社の飲み会とかは少なくなって歓迎です(笑)
でも、世界的に見て上手く集団行動をこなせる国民は少ないですので、せっかくのこの長所を否定してしまうのはもったいない。
問題なのは日本人の場合、『集団行動』を成立させる上で、自己犠牲、自己抑制を強く強いられがちな点だと思うのです。
多分これは個々の長所を伸ばすより、欠点に目を向けそれを直す事に集中してしまう日本の教育からきているのかなと。
個性的な長所は『集団行動』を壊してしまう、という意識がどこかに深く根付いているのでしょうか。
昔、何気なくテレビを付けたら、ちょうどアメリカのバスケットボールのオールスター戦をやってました。
一人の解説者が、
「初顔合わせなメンバーが大半なのに、まるで長年同じメンバーでプレーしてきたかのように完璧に息の合ったプレーだ」
と絶賛すると
もう一人の解説者曰く
「彼らにその秘訣を聞いたところ、自分がこなすべきプレーの範囲と他者に任せる範囲のラインがしっかり分かれていてそれを忠実にこなしているので、こぼれたボールをお見合いしてしまったり、味方同士が交錯する事が無い」
のだと。
ちょうどジグソーパズルのピースのようですね。
各ピースには、でっぱりとへこみが必ずあり、そのおたがいの凸凹が
組み合わさって大きな素晴らしい絵を形成出来るのですから。
これはお互いの長所と短所が上手く補いあっている例ですし、
この場合ならいくら長所を伸ばしてもそれを受け入れるピースのくぼみもあるある訳ですから、個性を伸ばす事=集団行動の弊害とはならないでしょう。
例えてみると、日本式『集団行動』の唯一の難点は、本来、人間の個性はジグソーパズルのピースの様に凸凹しているのが普通なのに、凸を削り凹を埋めて、まるで四角いタイルのようにして並べている気がします。
それから、『集団行動』という言葉に何となく嫌な印象があるのは、
自然界において、例えばすずめのように、一羽では生きられない弱い生き物達が『集団行動』をとるイメージがあり、『集団行動』をとっていると、まるで自分が弱い存在のような気がしてくるからかもしれません。
しかし、自然界での集団生活は決して自己犠牲、自己抑制の産物ではありませんし、一匹では生きられない弱い生き物が他を頼って生きている訳ではありません。
すずめでさえ、一匹でもしっかり生きられる力を備えた上で、より生き残る為の知恵として集団生活を選んでいる訳です。
「どうせ、いくら頑張ったって所詮、野鳥界では小さく弱い存在だし〜................」
なんて、やさぐれている、すずめは見た事ありません(笑)
まだまだ半人前の子すずめ達も、毎日毎日、この一瞬をしっかり、一生懸命生きている姿が、私にも勇気を与えてくれています。
いまひとつ、ウケの良く無い『集団行動』。
こうして違う視点から改めて再評価しても良いのではと思います。
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